カラダ再生研究室

腰痛でお悩みの方向けのブログ

神田みつひろのお話#2 「トレーナーとしてのターニングポイント」

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こんにちは!

姿勢矯正エクササイズで腰痛改善を行うコンディショニングトレーナーの神田みつひろです。

 

僕の人生のストーリーを描いてみました。

どのようにして育ったのか、今なぜこの場所にいるのか。

そして、これからの未来へのビジョンとは。

 

全3回に分けて書きました。

 

それでは、第2回目をどうぞ。

 

【ストーリー②トレーナーとしてのターニングポイント】

 

必死だった専門学校時代

 

高校での体験から、アスレティックトレーナーというスポーツ現場でリハビリやトレーニングを行う職業を目指して、福岡リゾート&スポーツ専門学校に進学。

 

ただ、決して裕福な家庭ではなかったため、進学にかかるお金などから親に反対されていたので、奨学金を全て使って、学費を払うことで、どうにかこうにか許しを得て進学できた。

 

そんなこともあり、専門学校時代の生活は、

昼間は授業、夜は週3アルバイトと週4スポーツ現場(古豪の高校ラグビー部)と、めまぐるしかった

 

とにかく、反対されてまで進学したんだし、意味のある2年間にしようと学校も1日も休まずに必死に生活していた。

 

そして、ありがたいことに、東京のトップスポーツチームのスポーツ現場や、プロ野球チームのキャンプなどを体験させていただいたり、学校のパンフレットでも特集していただいた。

 

とにかく大変だったが、好きなことを学べている喜びから、毎日が楽しくてしょうがなかったから、2年間があっという間に感じていた。

 

そんな専門学校時代も終わりを迎えようとした新年。

 

ただ、一つ問題が。

 

就職先が決まっていない。

 

就職活動の行く末は

 

なんということだ。

 

みんなが就職活動を頑張っておいた時期に、勉強とスポーツ現場とアルバイトで必死になりすぎて、就職するという意識がぶっ飛んでいた。

 

先生に福岡の就職先を紹介していただいたりしたが、何だか自分の中で、ここぞという気持ちが湧かなかった。

 

そんな時に、パソコンで色々と検索していた時、東京のあるパーソナルトレーニングジムを見つけた。

 

 

!!!!!

 

 

なんだここはと。

衝撃的なジムだった。

 

今としては当たり前だが、フリースペースがほとんで、姿勢や動作分析を行いプログラムを作成するという当時では珍しいコンセプトで、なおかつオシャレ!!!!!!!!

 

 

ここだーーーーーーーー!

 

と思い、改めて先生に相談すると、

 

「知り合いだけど、見学行く?」

 

・・・まじっすか!!!!!!!

 

そんなこんなで、見学に東京に行くことに。

 

行って、決めましたよ。

ここだよと。

 

そして、

 

インターンを行うという入社試験を受けに、改めて東京へ。

 

 

4日間、死ぬほど緊張しながらのインターン

誰も知り合いのいない東京でのインターン

最終日、入社試験の合否を待つ。

 

 

その結果は・・・

 

 

「残念ながら今回はご縁がなかったということで」

 

 

な・・・・

 

 

長くなるので割愛するが、私は泣きながら福岡へ帰った。

 

何故ダメだったか、わかっていた。

とても厳しい環境だと言うことも実感していた。

そこでもう1歩、勇気がなかった。

自分の枠から踏み出す勇気がなかった。

 

東京がとても遠く感じた。

 

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卒業式後の電話

 

卒業式が終わったら、とりあえず地元に帰ろうと思っていた・・・

 

卒業式が終わり、謝恩会に途中に、携帯電話が鳴った。

 

入社試験を受けた、あのジムからだ。

 

心臓がドクーーーンとなった。

 

会場から抜け出し、恐る恐る電話に出る。

 

 

「何してんの? 就職先決まってなかったら、また受けてみないか?」

 

・・・まじっすか!!!!!!!

 

即答で、やりますと返事した。

 

すぐ先生に報告した。

 

まさかの奇跡が起きて、改めて憧れのジムの入社試験を受けさせていただき、どうにか合格をいただいて、上京することになった。

 

もう3月だった。

 

 

大きな挫折

 

結論から言う。

 

僕は、そのジムを半年で辞めた。

 

辞めたは語弊がある。

 

逃げた。

 

苦しさから逃げた。

 

自分のくだらないプライドから

 

自分の弱さを克服することなく

 

向き合うこともなく

 

周りの人の協力があったことも忘れ

 

自分の向き合わなければいけない現実から

 

逃げた。

 

トレーナーには向いていないし

 

自分の存在は邪魔になっていると思ってしまっていた。

 

今でもその時の気持ちを思い出せるし

 

会社の皆さんの最後の顔も明確に覚えている。

 

 

最後の日、会社のエレベーターを降りようとした時、

とてもお世話になった上司の一言が忘れられない。

 

「お前に足りなかったことは、人の気持ちを理解しようとすることだ」

 

僕は、とても大きな挫折をした。

 

二度とトレーナーになることはないと決めて、宮崎へ帰った。

 

実は、謝恩会の後の電話、あれは奇跡ではなかった。

専門学校の先生が、また自分を推してくれていたのだ。

 

それでも僕は、逃げた。

 

 

学生時代からの成長はゼロだった。

 

 

まだ9月だった。

 

 

 

 

次回は、「再上京から新しいビジョン」 について。