神田みつひろのお話 #1 「調子に乗っていた学生時代」
こんにちは!
姿勢矯正エクササイズで腰痛改善を行うコンディショニングトレーナーの神田みつひろです。
僕の人生のストーリーを描いてみました。
どのようにして育ったのか、今なぜこの場所にいるのか。
そして、これからの未来へのビジョンとは。
全3回に分けて書きました。
それでは、第1回目をどうぞ。
【ストーリー① 調子に乗っていた学生時代】
生まれは超田舎の九州人
育ったのは、宮崎県の最北部にある北川町(現:延岡市)という山と川に囲まれた小さな田舎。
100円玉を握りしめ、近所の小さな商店でお菓子を買い、稲を刈った田んぼで野球や缶蹴り、川で魚釣りや泳いだりするのが日課だった。
小学校から中学校までは、同じ北川町からほとんど出ることはなく、今思えばとても小さな世界で生きていた。
常に前に出たがりで、何かしていないと気が済まず、中学校では学級委員長や生徒会にも携わっていた。
まあ客観的にみても、勉強はできていた方で、テストで良い点数を取って、学年での順位を高い位置であり続けること、先生からの評価を高くあり続けることに全力を注いでいた記憶がある。
それと同時に、部活では野球もやりつつ、
バンドブームの時代や、先輩の影響もあり、友達とバンドを結成。
自分はドラムを始め、毎日ビジュアル系バンドのコピーに勤しんだ。
めちゃくちゃめちゃくちゃハマった。毎日ドラムの椅子に座っていた。
スタジオには行けないから、部屋の雨戸をしめて、クーラーもない部屋で汗だくでバンバン叩き、家族や近所には本当に迷惑をかけたなと、つくづく思う。
そんな生活の中で、変な自信に満ち溢れていた。
根拠もないのに、自信だけはあった。
そして、絶対に受かると周りに豪語していた高校の推薦入試で見事に落ちる。
大ショック。
先生たちは、調子に乗っていた神田を見透かしており、絶対に推薦は落ちると言われていたが、完全に聞き流していた。
これが、人生での初めての挫折なのかもしれない。笑
落ちた理由は簡単。
受かるための努力をしていない。
内申書で受かると勘違いしていた大馬鹿野郎だった。
そこから周りのサポートのおかげで立ち直り、
必死に勉強を始めて、どうにか希望の進学校を合格したのだったが・・・。
高校に進学するも
ようやく高校生活のスタート!
と思いきや、小さな田舎者で粋がってた人間が、いきなり大人数のコミュニティに入ることで、恥ずかしながら、とても戸惑ってしまった。
そのせいか、入学1週間後に、インフルエンザに罹る。
完全なスタートダッシュ失敗だ。
最悪だ。
あれ?君いたっけ?状態だった。
だが結局は、クラスにも溶け込んだら、また調子に乗り始めた。
成長はゼロだ。
1年生の後期から学級委員長になり、生徒会にも立候補したり。(最多投票数を得るも、部活に支障が出ることから、生徒会長を諦めることに。)
勉強はというと、これは不思議と記憶がない。笑
たぶん、ここの記憶だけは、知らないうちに宇宙人にでもさらわれて、抜き取られたんだとしか考えられない。
そんな高校生活での部活は野球部に入部。
本当はバスケとかやりたかったんだが、家に帰ったら、硬球ボールとバットが玄関にあり、本当に迷った。
でも入部した理由は、坊主にしなくて良かったから。
もう、甲子園を一生懸命に目指す高校球児に超失礼です。すいません。
そんな部活動生活で、下手は下手なりに頑張ってたが、肘や腰のケガに悩まされていた。
練習を休んで、整形外科に行き、治療をする毎日。
野球へのモチベーションも高まらない中で、ある想いが湧いてくる。
「スポーツのサポートする側へまわりたい。」
治療してくれていた理学療法士さんやトレーナーさんの仕事を目の当たりにして、そんな想いが出てきことで、将来の夢が明確になった瞬間だった。
次回、「専門学校時代から初社会人での大きな挫折」へと続く・・・・