神田みつひろのお話 #3 「再上京で見えた新しいビジョン」
こんにちは!
姿勢矯正エクササイズで腰痛改善を行うコンディショニングトレーナーの神田みつひろです。
僕の人生のストーリーを描いてみました。
どのようにして育ったのか、今なぜこの場所にいるのか。
そして、これからの未来へのビジョンとは。
全3回に分けて書きました。
それでは、第3回目をどうぞ。
【ストーリー③再上京で見えた新しいビジョン】
地元での生活
地元に帰ってからは、地元の友人たちが暖かく迎えてくれた。
1ヶ月くらいは家でゆっくりと生活していたが、
暇は暇で、辛くなり、仕事を探し始め他のだが
仕事がない!!!!!
全くないわけではないが、資格や経験、お給料面など、地元はかなり厳しい状況だということに気づいた。
周りに聞いても、自分のやりたい仕事なんてないのが普通だよと。
まじかよ。
そんな地元での生活は、午前中に病院敷設の運動施設でアルバイト。
夜は居酒屋でアルバイト。
次は、友人の経営するガソリンスタンドで1年ほどアルバイト。
(入社4ヶ月で伊藤忠グループの接客コンテストで宮崎県1位、九州大会に出場し6位入賞!)
そして、車で1時間ほどあるフィットネスクラブでアルバイト。
そんなアルバイト生活を2年ほどやっていた。
そんなある日、ある東京の方から連絡をいただく。
それは、自分が会社を辞めて地元に帰るまでの準備をしていた頃に、ある雑誌の取材記事を読んで、連絡をした腰痛改善のスペシャリストのトレーナーさんだった。
心のどこかで、このような人になれたらなと僅かながら想っていた。
そんな時だった。
「新しい事業を始めるから、一緒にやらないか」
僕はまだ自分の気持ちが理解できていないまま、はいと返事をした。
再上京から独立まで
正直いうと、怖かった。
逃げたくせに、戻ってくるなんて、なんという人間なんだと思われるのではないか。
勝手にそんな風うに考えていた。
ただ、いきなり落ちてしまう。
新しい事業が立ち上がる直前に頓挫した。
リーマンショックによる影響を受けた。
とても残念だが、タイミングよく都内のフィットネスクラブのオープニングスタッフとしてアルバイトすることがきた。
そこの研修を受けて、驚いた。
前の会社と同じじゃないか。
久しぶりに学ぶことが楽しいし、ワクワクする毎日だった。
おかげさまで、そのクラブでパーソナルトレーナーとしても活動させていただけることになって、順調そのものだったのだが、僕は引っかかっていた。
こんな簡単にパーソナルトレーナーとしてデビューしていいのか。
僕はそのレベルに達しているのか、もっと外にはすごい人ばかりだぞ。
それなのに、同じステージにいていいのか。
と。
それからというもの、その不安を埋めるように、外のセミナーにはガンガン行ったし、大型書店でスポーツ医学から整形外科学など多くの専門書を買い漁った。
ただ、その不安が消えることはなかった。
そんなトレーナー中心の生活を3年ほどして、ある気持ちが芽生え始める。
それは
組織を運営したい
学生時代から、確かに仕切りたがりではあったが、
スタッフの研修や、お客様向けのセミナー講師など、人も前に立ったり、色々なお仕事を任せていただき始めてから、管理側にまわってみたいという気持ちが強くなった。
だが、当時のフィットネスクラブで社員になるのは、なかなか難しい状況。
もっとステップアップするには、トレーナーという職人ではなく、マネジメントもできなければいけない。そう思っていた時、色々とご縁が繋がり、ベンチャー企業へ転職することになった。
その時も、迷わず行きますと答えた。
そして、独立へ
だが、本当のところは迷った。
クラブの皆さんには本当にお世話になったし、スタッフの皆さんと仕事できなくなるのが寂しかった。
でも、何かを得るためには、何かを捨てなければいけない。
そう決意して、転職した。
ベンチャー企業では、今までと違い、パソコンに向かう時間がほとんどだった。
とてもハードな毎日だったが、ダイエットジムの立ち上げなども経験させていただいた。
職人として生きてきた自分にとって、新鮮なことばかりだったが、知らないこと、できないことがほとんどだった。
また、自分の世界の小ささを知った。
1年半ほど働かせていただき、退職した。
そして、独立。
フリーで働くことにした。
その理由は、
自分のやりたいことを実現させるには、フリーしか手段がなかったからだ。
案の定、そう簡単に生活できるほど甘くはなかった。
お客様もゼロ、営業手段もない、とにかく全くのゼロから始まった。
もうゼロ、何もかもゼロ。
フリーでやっていると山あり谷ありばかりで
ここの苦労は長くなりすぎるので割愛するが
本当に多くの人に支えられて、今こうやって生きさせてもらっている。
これからのビジョン
こんな感じの人生で、今の自分がいるわけだが、
私はこの経験の中で学んで見えた、将来のビジョンがある。
それは、
地元に健康産業を発展させ、雇用を生みだす
今まで学んだ専門知識をソフト化し、地元で運動施設や健康サービスをつくる。
結果的に、健康な人が増えていくことも大切だが、それに関連して働く場所ができ、雇用が生まれていくと考えている。
やっぱり、人と人とが繋がる素晴らしいサービスで誰もが幸せになれる環境を作りたい。
“人の気持ちを考えられる”人材が集まり、素晴らしいチームを作りたい。
そのためには、今自分がやらなければいけないことはたくさんある。
目の前のことに、とにかく全力を尽くす。
こういうビジョンを目指していく中で、迷惑をかけてきた多くの方に恩返しをしていく。
ずっと背負ってきた十字架を、ゆっくり降ろせる日のために、今やるべきことに全力を尽くす。
これからの人生も、幾度となく山あり谷ありとは思うが、逃げずに乗り越えて、いい意味で調子にのっていこうと思う。
これからの神田みつひろも楽しみにしていただきたい。
ある意味、続く・・・